

Andrei Epure『Don’t Let Me Die』ルーマニア、隣人が玄関前で亡くなった…
on 2026年1月25日 at 1:30 PM
Andrei Epure長編一作目。2021年製作の短編『Intercom 15』を長編に引き延ばしたような、ルーマニア・ニューウェーブに名を連ねる不条理系社会派映画と思い込んでいたが、どうもそれだけではないらしい。真夜中、郊外の洞窟から出てきた女は一人で夜道を歩いて自宅マンションに帰り、なぜか他の家のインターフォンを鳴らしまくった挙句、玄関前でうずくまるようにして亡くなった。翌朝、遺体を見つけて通報した主人公マリアは、亡くなったイザベラの息子がどこにいるか分からず、連絡先として名前を書かれることになってしまう。イザベラは墓所を予約していたようで、さっそく葬儀屋から連絡が来るが、実は支払いが滞っていたようで、葬儀は再び宙ぶらりんとなる。そんな中、マリアの家では毎晩のように無言インターフォンが鳴り続け…云々。『ラザレスク氏の最期』の精神的続編などと書かれていたが、ダルデンヌ=プイウ系統ではなくアケルマン=ポルンボユ系統の固定長回しの距離感ある映像である。極端に台詞が少なく、それが本作品の不気味さにも貢献しているし、分かりにくさにも貢献していて、中々に評価が難しい。乳白色で統一されたアパートの内装、電気の付かない廊下、赤いライトが印象的な役所の廊下、黒い壁で覆われた狭い霊安室など、統一された色味や陰影などに不気味さを感じさせる画作りは素晴らしく、そこに静けさの中に聞こえるインターフォンや犬の鳴き声などが加わることで、静けさの中に何かが聞こえるんじゃないか?という緊張感があった。しかし、葬儀シーンの直後に葬儀の許可が下りなかったという話が出てきたり、突然仕事先のリハビリ施設を解雇される話が出てきたり、現実の不条理より語りの不親切が勝つ瞬間が多かった。惜しい映画だ。続きをみる
Gabrielė Urbonaitė『Renovation』現代リトアニアで生きるということ、未来を想うこと
on 2026年1月18日 at 1:35 PM
ガブリエレ・ウルボナイテ(Gabrielė Urbonaitė)長編一作目。監督はリトアニア音楽演劇アカデミー出身であり、キャスティングにマリア・カフタラーゼ、撮影にヴィータウタス・カトクス、ADにサウレ・ブリュヴァイテとリトアニア新世代らしい強固な繋がりを感じさせる。物語はビリニュスに暮らす翻訳家のイロナとツアーガイドの恋人マタスが新居に引っ越してきたところから始まる。もうすぐ30歳という節目を迎えるにあたり、これからの人生設計をそろそろ固めたいところではあるが、仕事にもマタスとの関係性にも行き詰まりを感じている。閑静な住宅街にある自宅マンションで翻訳仕事に集中しよう…と思った矢先、マンションは修繕作業に突入する。うるさくて集中できない!そんなとき、作業員の一人オレグと偶然親しくなり云々。イロナの悩みは普遍的な側面もあるが、ウクライナ出身のオレグやベラルーシ出身のナタリアの存在や夫の親族が受けているサバイバル訓練、TVで流れる戦争のニュースなどの存在によって、現代リトアニアを生きる若者の想像する未来は以前にも増して不透明になっていることが提示される。訓練を受けたがらないマタスは臆病者か?戦争を逃れて家族とリトアニアに来たオレグは臆病者か?というという問いまで発生させる。今のリトアニアで生きるにはどうすればいい?と。加えて、結婚生活の先輩たちも多く登場する。娘たちに多くを期待するイロナの母親、ストレスを叫んで発散させるなど上手く母親をやってるように見えるナタリア、人生の大半を他人のために費やしたのに孤独だと語る老女。未来は真っ暗、イロナは戸惑うばかりである。そこで出会ったのがオレグである。ヒョロいマタスよりゴツいオレグ…というわけでもなく(と信じたい)、シンプルに迷いを抱えるイロナを導く灯台のような役割を担っている。彼を見て思い出したのはロバン・カンピヨ『Enzo』である。ウクライナ人の男性が出稼ぎで建築現場で働いていて、現地で暮らす主人公が交流したことで目覚めさせる一方、本人はウクライナへ帰っていくというのまで一緒。ちょっと安直な感じもするけど、『Enzo』よりは近隣地域なのでこういう光景はありふれているのか。続きをみる
ルチアン・ピンティリエ『The Afternoon of a Torturer』ルーマニア、拷問官と過ごす長閑な午後
on 2026年1月16日 at 1:30 PM
傑作。2001年ヴェネツィア映画祭コンペティション部門選出作品。ルチアン・ピンティリエ長編九作目。セクリターテの拷問官であることを告白したフランツ・ツァンダラ(Franț Țandără)について扱ったドイナ・イェラによるノンフィクション本『The Road to Damascus: Confession of a former torturer』(1999)を基にしている。チャウシェスク時代は推定1700人の拷問官がいたらしいが、名乗り出たのは彼一人だったという。彼は自身の罪を認めて共産主義体制を非難し、法廷で裁かれることを求めていたというが、結局裁判は開かれないまま2004年に74歳で亡くなった。裁判が開かれるのは更に10年以上の時を要した。物語は若い女性記者と元政治犯という老教授の二人がフランツに会いに行く列車で幕を開ける。”宇宙に存在するものは全て理由があり、あらゆる現象が因果律に従っている”と老教授は記者に語る。しかし、その先の映画の語り口は必ずしも明白な因果律に従うわけではない。記者と教授は駅でフランツと合流し、郊外にある彼の家まで行って話を聞くことになるが、急にブチギレたかと思えば急に泣き出すなど道中からフランツの情緒は不安定であり、いざインタビューが始まっても長大な身の上話から始まって中々本題に入らない上に、導火線が短すぎて意味不明なタイミングで大噴火が始まるなどインタビューは思うように進まない。話し始めても短い記憶を話し終わると暗転を挟んで次の記憶へと移り…というのを繰り返すので、彼の人生は断片的にしか捉えられない。フランツ邸でのインタビューは庭の机に横一列になって行われる。本来なら正対して話を聞く気もするが、まるで「最後の晩餐」かのように横に並んだ状態で進行される。なぜか?それはフランツがカメラを覗き込むことからも分かる。彼らと”向き合う”のは我々なのだ。一方で、彼らは”見る”側でもある。裏庭という”舞台”を見る特等席に座っているのだ。フランツの目線の先には長い”歴史”のある一本の木が立っていて、彼は過去の記憶を語りながら当時の情景を目の前に見ている。小人症の叔母が編み物をしていた木陰、幼くして死んだ異母妹?を埋めた木陰、強権的な父親と言い争った木陰、それら全てを目撃していた少年時代の記憶だ。凄惨だが曖昧な記憶を言葉にしながら、目の前で起こる過去の”再演”を懐かしそうに眺めているあたり、言葉で話している内容への反省があまりなさそうで非常に怖い。続きをみる
ヴォイチェフ・ヤスニー『猫に裁かれる人たち』”世界で一番美しいのは友情と誠実さ”
on 2026年1月4日 at 1:31 PM
1963年カンヌ映画祭コンペティション部門選出作品。ヴォイチェフ・ヤスニー長編六作目。東欧の子供映画を観よう!企画。とある地方都市に魔術師と美しい助手ディアナがやって来た。彼らが一緒に連れてきた猫は、眼鏡を外すと、猫に見られた人がその人の本性によって色がついてしまうらしい…という不思議な作品。小学生たちに慕われるロベルト先生はディアナと恋してしまい…という設定と、彼の友人で教会の管理人という”観察者”オリヴァ老人の濃すぎるキャラを見るにイジー・メンツェル『Capricious Summer』から変態性を抜いた感じにも見える(ロベルト先生役のVlastimil Brodskýは同作にも主役級で登場)。本作品のキモとなるのは、やはり本性によって人間が色付けられてしまうという点にあり、実際に色付けられた際の映像はそこそこ興味深いんだが、ずっと色が付いてしまうというわけでもなくいつの間にか色は消えているし、色のレパートリーも少なく(これは技術的な問題だとは思うが)、そもそも悪そうな奴に悪い色が付くだけで、特に困ることもなさそうなので、大人たちが猫退治に躍起になる理由がよく分からないという点に致命的な問題があると思う。しかも、仮病で仕事サボってるのがバレると困るとかいうしょーもなさすぎる理由で猫を殺そうとしているのがアホくさすぎる。ヴァーツラフ・ヴォルリーチェクとかを見習った方が良い。でも、どこに行くにも全身赤タイツで、初対面で怪我させたロベルト先生の額に冷たいアイロン当ててる狂ったディアナさんは最高。二人がラブラブな雰囲気でワイングラスをチェス駒に見立てて動かして交換してるとこは白眉。・作品データ続きをみる
Vytautas Katkus『The Visitor』リトアニア、かつての故郷、今はもう…
on 2025年11月22日 at 1:30 PM
傑作。2025年カルロヴィ・ヴァリ映画祭コンペティション部門選出作品。リトアニア新世代の筆頭であるマリア・カフタラーゼやサウレ・ブリュヴァイテなどの作品で撮影監督を務めたヴィータウタス・カトクス(Vytautas Katkus)長編一作目。カフタラーゼは脚本に、ブリュヴァイテは端役として参加している他、ローリーナス・バレイシャも編集として参加しているなど、新世代の結びつきの強固さをクレジットからも見て取ることができる(まるでエル・パンペロ・シネのようだ)。8月の終わり、妻子のいるノルウェーからリトアニアの海辺のリゾート地にある故郷に、ダニエリウスは戻ってきた。父親の死後1年が経過したのをきっかけに、実家を売りに出そうと決意したのだ。葬儀には参加すらしなかったらしい彼が、この1年で変わったのは、新たに父親になったと言う事だった。映画は実家の整理をして売ろうとしながら実家の周りをウロウロするダニエリウスの何気ない日常を追い続ける。ダニエリウスの行動は、部屋をさっさと売りたい人間にしてはノロノロしているし、売りたくない人間にしてはサッパリしている。それが故郷への距離感なのだろう。もう二度と”戻る”ことが出来ないという静かな諦めにも似た感情の発露かもしれない。その寂しさや孤独感は、オフシーズンで客が少ないが、まだ海には入れるという短い時間の寂しさにも似ている。やがて、彼はかつて彼を育てたコミュニティと繋がりを取り戻し、まるで長年ここにいたかのような別の人生を少しだけ歩いてみる。すると、映画はダニエリウスから視線を外し、彼を見ていた人々、向かいの部屋の少年トマスや上階の幼馴染ヴィスマンテとその父親などの物語をも語り始める。それはふとした瞬間にダニエリウスの人生と交わり、或いは交わらなかったりする。彼らの人生はダニエリウスがずっとここにいたかのように進み、ダニエリウスの孤独を包み込む。ダニエリウスが父親との繋がりを取り戻すように、ヴィスマンテの父親と関係を深めていくシーンは本当に美しかった。かなりの頻度で異様な角度の変な眼差しが挟み込まれるのは、監督が撮影も担当しているからだろうか(『トクシック』とほぼ一緒なショットも登場)。特にベランダから下の部屋のベランダにいる新入居者の若夫婦と歌で会話するシーンの、もうダニエリウスが戻らないことが決まった先に新しい日常が始まる瞬間は素晴らしく輝いていた。続きをみる

Emilija Gašić『78 Days』セルビア、ある三姉妹の戦禍の記録
on 2025年10月24日 at 1:30 PM
Emilija Gašić長編一作目。物語は1999年1月30日に撮影されたホームビデオで幕を開ける。ベオグラードから少し離れた田舎に暮らす三姉妹は、互いにカメラを向け日常の何気ない瞬間をビデオカメラに収めている。しかし、ニュースは首都のきな臭い情勢を伝えている。頭上を飛ぶ爆撃機はこっちに来るのか?やがて3月24日を迎え、ベオグラード爆撃を皮切りに所謂”コソボ紛争”が勃発する。父親は徴兵され、隣家にはベオグラードから逃げてきた家族が引っ越してくる。少女たちは”帰宅した父親に見せるため”に、そのままビデオカメラで日常を捉え続けるが、戦争の影は徐々に忍び寄って来る云々。本物の記録映像かと見紛うほどの自然さには驚かされる。いつここが爆撃されるかも分からない中で懸命に日常を手離さないように生き続け、それでも空襲警報などによって中断を繰り返す生々しさが心底恐ろしく、そんな状況の中で撮影されるホームビデオという語り口が、容赦なく観客の日常と接続されるのが非常に上手い。川や森に囲まれた環境の中でさえ空襲警報を受けて家の中で縮こまっていないといけない環境にストレスをためこむ姉妹は、どうにかして安らぎを得ようと苦心し、高校生の長女ソニアと中学生の次女ドラガナは隣人の青年ムラデンを巡って対立し、生意気な独裁者の三女ティヤナは影響を受けやすいムラデンの妹レラを支配する。しかし、そんな関係性も戦争を前には無力だ。ある時、ドラガナはティヤナにビデオの操作方法を教える。撮影したものはいつでも再生できる、そして上書きも出来る、と。記録メディアとしてのビデオがそうならば、彼女たちの記憶だって彼女たちの中で保存され、再生され、上書きされるだろうし、本作品の映像は日常の忘れ去られるような瞬間を記録しているのがほとんどだ。しかし、彼女たちの中で今でもこの形で”再生”されていることは想像に難くない。また、残された映像もタイムスタンプが付いているものと付いていないものがあった。そのタイムスタンプは1999年4月のものではなく、今のものになる可能性だってあるんだ、と言っているようにも見えた。続きをみる
Ivana Mladenović『Sorella di Clausura』ルーマニア、女性と性と資本主義について
on 2025年10月19日 at 1:30 PM
大傑作。2025年ロカルノ映画祭コンペティション部門選出作品。イヴァナ・ムラデノヴィッチ(Ivana Mladenović)長編四作目。前作『Ivana the Terrible』は監督が帰郷した際に起こった実際の出来事を監督自身が再演していたが、脚色はあるにしてもかなりの暴走機関車っぷりに若干引きつつ面白く観た。6年ぶりの新作である本作品も全く同じ暴走機関車っぷりを遺憾なく発揮している。物語は大卒無職のステラ・ポポヴィッチを主人公としている。彼女は12歳の時に白黒テレビで見たユーゴの大スター歌手ボバンの虜になって以来、今になっても叔父の障碍年金を着服するなどして、ボバンのグッズやコンサートに人生の全てを注ぎ込んでいる(なんとボバンを演じるのは監督の父親である)。ブカレストに来たボバンに一目会おうと追い掛け回すも失敗し、生身のボバンに会うため暴走は加速していく中で、彼の愛人と噂される若き実業家/歌手のヴェラ・ポップと知り合う云々。映画は三部構成となっており、それぞれの章で中心的に語られる男が登場する。第一部に登場するチャーリーという自己中男は、自分の家を持てるくらいの金は持っているが、とにかく自己中で、女は家事育児と性欲処理くらいにしか思ってなさそう。第二部に登場するフェリックスは出版社の社長で、チャーリーよりも金を持っていて、表面上はチャーリーよりも紳士的だが、ヴェラに利用価値がなくなると即座に手を引く冷徹さがあり、資本主義の権化のような存在だ。第三部に登場するガビはお金はそこまで持っていないが穏やかな人物であり、前の二人に比べるとマシなのだが、ステラは彼がロマであることに抵抗を感じている。常に男が登場するのは、ルーマニアにおける女性の立ち位置にも密接に関係している。女性たちは常に性的な眼差しを向けられ、同時に貞淑さを求められる。セックスしろ、子供を産め、世の中と同じように生きろ、という男目線の猛毒言説に苦しめられている。そんな中で、独身で子供もいないステラは異端の存在であり、その異端さ故に資本主義に馴染めない様がダークなユーモアと共に描かれている。映画は2007年にルーマニアがEUに加盟し、束の間の好景気に沸いていた2008年を起点に、その後すぐに好調だった経済が急激に減速していく時期を描いている。大卒の彼女にも紡績工場での仕事くらいしかないのも、一家全員が無職で、叔父の障碍年金で暮らしているのも珍しい状況ではなかったのだろう(英語で手紙書いたり会話したり結構なインテリのはず)。誰もが金を求めて喘いでいた時期だった。ステラがボバンに惚れたのは1986年の12歳のときで、それ以降ずっと彼を追っていたことを考えると、彼女がボバンへの幻想の中で過ごしてきた20年間はそのまま民主化による格差の拡大の時代を反映しているのだろう。その間に三度自殺未遂をしている、というエピソードも象徴的だ。そんな彼女の届かない”想い”が届いた瞬間というのが、”初めて彼に悪態をついたら本当に起こった”というのがなんとも悲しいが、実にSNSっぽい反応でもある。題名の”Sorella di Clausura”は、普段は沈黙の誓いに従って口を開かないが、一年に一度だけ演奏会で歌う修道女たちを指しており、それは結局誰ともセックスすることなく、結果的に”禁欲的な”生活をしていたステラを指した言葉である。ヴェラからステラのことを聞いていたのか否かは定かではないが、なんとも皮肉な言葉だ。しかし、その言葉もまた、性的に消費されることを良しとせず、欲望の主体性を取り戻していった彼女の異端さを示しているだろう。続きをみる
ネメシュ・ラースロー『Orphan』ハンガリー、ある”見捨てられた”少年の物語
on 2025年9月30日 at 1:28 PM
2025年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。2026年アカデミー国際長編映画賞ハンガリー代表。ネメシュ・ラースロー長編三作目。ハンガリー映画史を代表する映画監督でもある父親イェレシュ・アンドラーシュ(1945年生まれ)が1950年代のブダペストで経験したことを基に製作された。監督は『関心領域』がオスカーを受賞した際のジョナサン・グレイザーのスピーチを批判していたので、かなり失望した監督の一人だが、その後の続報はない。イスラエル関連会社へのボイコットの署名には参加しておらず、ガーディアン紙が個別に連絡しても回答はなく、ボイコット署名への反対署名にも名前はなかった。物語は1949年、孤児院で暮らすアンドラーシュが母親に引き取られるところから始まる。彼の父親は1944年に収容所へ送られ、妊娠中だった母親クラーラは隠れてアンドラーシュを産んで孤児院に預け、4年後に引き取りに来たのだった。時は流れて1957年(ハンガリー動乱の翌年)、12歳のアンドールは不安定な社会の中で苦しみながら生きている。いまだに戻らない父親を神格化して帰りを待ちながら、母親との関係は微妙なままで、戦時中に彼女を匿っていたミハーイという男が現れて”実の父親だ”と言い始め、彼は混乱するばかり。唯一の親友シャーリは、兄トマーシュが動乱に加担して地下で逃げている最中で、問題児アンドールの手綱を握る余裕はない…云々。劇場のチケット売り場で働いていたという父親はアンドールの中で神格化され、彼の遺した売れ残りのチケットを入れたケースを大事に持ち歩き、アパートの地下にあるボイラーを父親に見立てて語り掛けている。ユダヤ人であるアンドールは同級生からも警察からもソ連兵からも嫌がらせを受け、心の拠り所は同じユダヤ人のシャーリだけなのだ。クラーラとシャーリの母エルザは仲が良く、かつてエルザが所有していた食料品店で働いている。この店は既に傲慢なスターリン主義者に奪われてしまった。エルザの父親は戻ってきたが車椅子での生活を余儀なくされ、言葉もほぼ発さない。そんな状況の中にいるので、トマーシュの存在がアンドールの中で理想化された父親と一部重なり、援助に前向きなのは理解できることだろう。そこに現れたのがミハーイである。クラーラとしてはあまり歓迎していなかったが、今後の生活を考えると党の要職者とも繋がりの深いミハーイと再婚するのは無視できない選択肢の一つである…というクラーラ側の思惑は理解できるし、そこにアンドールが反発するのも理解できるのだが、ミハーイが”お前は俺の息子だ!”とアンドールに言い続けて悪役ムーヴをし続けるのは理解に苦しむ。ミハーイ側にクラーラと再婚するメリットがなさすぎるように見えるので、アンドールをそこまでして支配下に置かないといけない状況には見えない。あまりに記号的な存在なのだ。続きをみる
セルゲイ・ロズニツァ『Two Prosecutors』真実をかき消し人命をも奪う”シンプルさ”について
on 2025年9月21日 at 1:30 PM
傑作。2025年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。セルゲイ・ロズニツァ通算34作目、劇映画としては『ドンバス』以来7年ぶりの五作目。ゲオルギー・デミドフによる同名小説の映画化作品。ロゥニツァによると忠実に再現しつつ、自身や他者の経験を入れている部分もあり、特にモスクワ行きの電車のエピソードは丸ごと追加されたものらしい(一次大戦の傷痍兵がレーニンに陳情しに行って門前払いを食らう話で暗示的だ)。物語は1937年、スターリンによる大粛清の嵐が吹き荒れる時代のソ連にて、大学を卒業したばかりの新米検察官コルニエフは、ブリャンスクの刑務所から届いた手紙に導かれてその地を訪れる。手紙の主は特殊房にいたステパニェクという老人で、かつてコルニエフのいた大学で講演をしたこともある老ボリシェヴィキだった。彼に会わせることで自身の暴力行為が露呈することを恐れる看守たちはあの手この手でコルニエフを追い返そうとする…云々。物語としてはコルニエフがステパニェクに会う、ステパニェクにNKVDの悪行を教えられスターリンに伝えろと言われる、モスクワへ行って検事総長アンドレイ・ヴィシンスキーに告発する、モスクワから地元に帰る、という非常にシンプルで味気無さすら感じるものだ。しかし逆に考えれば、こうもシンプルに真実がかき消され、人命が奪われていくことを的確に提示しているわけで、その無機質な恐ろしさには身震いする。アカデミー比の画面は非常に窮屈で、他者を簡単に蹴落としてしまえるような人間関係の狭さを閉所恐怖症的に示しつつ、それが独房のような狭さとも視覚的に繋がるようになっていて、こちらも恐ろしい。しかも、カラー映画なのに色褪せて見えるのは、意図的にそういった色を排除したかららしく、すべてが刑務所の中のような閉塞的な空気感を出していて、こちらも恐ろしい。基本的にコルニエフが接触する人間は積極的に加担している側の人間だが、あるシーンでそれらを見て見ぬふりして消極的に加担していることを示す瞬間がある。モスクワの検事局のビルで、階段で資料を落とした女性を手伝うコルニエフを、周囲の人間はただ眺めているのだ。無視して先に進むでもなく、ただ見ている。心底恐ろしかった。・作品データ続きをみる
on 2025年8月20日 at 6:06 AM
アルバニアは、近年EU加盟候補国として注目を集めており、安定した経済成長と低コストなビジネス環境が魅力です。ヨーロッパ市場へのゲートウェイとしてのポジションを活かし、中小規模のビジネス展開に大きな可能性が広がっています。有望な分野と起業アイディアを整理します。観光関連ビジネス続きをみる
on 2025年8月19日 at 6:00 AM
アルバニアは、ヨーロッパの中でも特に水資源に恵まれた国のひとつです。山岳地帯から湧き出る清冽な水はカルシウムやマグネシウムの含有量が低い「軟水」が多く、日本人を含むアジア市場で好まれる特性を備えています。この透明度の高い軟水は、飲用だけでなく、農業・観光・加工産業など幅広いビジネスに応用できる未開拓の資源といえるでしょう。 サランダ – Wikipediaja.wikipedia.org 続きをみる
on 2025年8月16日 at 10:12 AM
アルバニアの銀行業界は、近年のEU統合準備と外国資本の流入により、安定性と国際基準の順守化が進んでいます。商業銀行は外国資本比率が高く、近隣諸国や欧州の金融ネットワークと密接に連動しています。1. Banka Kombëtare Tregtare (BKT)続きをみる
【アルバニア】デジタルノマドビザ(ユニーク・パーミット)の申請方法
on 2025年8月13日 at 5:41 AM
アルバニアが提供する「Unique Permit」(通称:デジタルノマドビザ)は、最大5年間の滞在を可能とする仕組みで、オンライン申請完結型という点で、非常に実務的かつ効率的です。さらに、初年度のビザ発行後は毎年更新でき、最終的には永住権申請へと道が拓かれます。リモートワークを継続しながら欧州に拠点を設けたい方におすすめです。申請方法続きをみる